(株)医療科学社 月刊INNERVISION(インナービジョン)1998年4月号(Vol.13, No.5) より許可を得て転載。
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[ラジウム治療学] [核医学の苗床としてのラジウム] [保健物理学の礎としてのラジウム] [最初に戻る]核医学の苗床としてのラジウム
ヨーロッパでは古くから温泉の水を飲んで病気の治療をすることが行われており,関節炎,高血圧などに効果があるとされていた。その理由については古くからいくつもの議論があったが,1903年,トムソン(J. J. Thomson)が温泉水中に放射能(ラドン)を発見したことを報告して以来,温泉の治療効果はラドンにあると考える人が出てきた。そして,ラジウムの入手が比較的容易になった1910年代半ば,温泉の恵みを手軽に与えるものとして,内服用ラドン水の販売が始められた。これは商売としても成功し,あるラドン・ドリンキングの製造会社の1920年代半ばの販売量は,年間15万5400ビンもあったという。
ラドン・ドリンキングの効用に一応の成果が固まると,ラドンの半減期が短いことが短所とみなされ,もっと長期間効果を持続させるものとして,ラドンの親核種ラジウムが使われるようになった。ラジウムからは絶え間なくラドンが生成されるので,1回のラジウム服用ないし注射で,何回もラドン水を飲むのと同じ効果を得ようというわけである。当時の広告によると,飲用液は2μgのラジウムを含む60mlの水溶液であり,静注用液は2mlのアンプルに入ったラジウム量5〜100μgまでの5段階の濃度のものが市販されている。
ラドン・ドリンキングやラジウム内用療法は,慢性の関節疾患や筋肉疾患,高血圧,腎炎,貧血などに効くと考えられていた。ラジウム内用療法は,1920年代半ばから骨髄性白血病に使われるようになった。これは白血球を減らすという点で目に見える効果があったので,専門家の間でもかなり一般化した。しかし,1920年代末には,後に述べる夜光時計文字板工場でのラジウム摂取による障害が明らかになって,急速にすたれた。
ラジウムは,核医学の根本原理であるアイソトープ・トレーサー法の発見にも密接に関係している。この辺の事情は,後年,アイソトープ・トレーサー法の開発・発展に尽力した功績でノーベル賞を受けたヘベシー(Hevesy)の受賞記念講演“Some Applications of Isotopiclndicators”(1944)に次のように述べられている。
「1911年のある日,放射性の鉛を貯蔵してあった研究所の地下室でラザフォード(Rutherford)に会ったとき,彼は彼独特の親しげで飾らない調子で私に言った。“君,給料分の能があるんだったら,この鉛からラジウムDを分離して見給え”と。当時,私は熱心な若者だったので,言われた問題にすぐとりかかり,また,これに成功できると信じていた。しかしながら,鉛からラジウムDを分離するために膨大な数の実験を行い,まるまる2年間費したにもかかわらず,私は完全に失敗した。この意気消沈した状態を何とか利用するために,私はラジウムDを鉛のインジケータにすることにした」
核医学の事実上の出発点もラジウムにある。 核医学の父と言われるアメリカのブルムガルト(Blumgart)は,人間の肺循環時間の測定を志し,そのために用いる物質は次のような性質のものが望ましいと考えた。A 検査に用いる物質はその使用量によって毒作用を示さないこと,B 身体内にはない物質であること,C 検査の対象となる現象に影響を及ぼさない物質であること,D 繰り返し実験ができるように適当な速さで身体内からなくなっていってくれる物質であること,E 極微量でも検出できる物質であること。この要請を満たす物質として彼が選んだのは“ラジウムC”である。極微量のラジウムCを患者の右肘静脈に注射し,左腕部にあてた検出器で放射能が検出されるまでの時間を測ったのである。こうして測った血液循環時間は正常では14〜24secであったが,心不全の患者では71secにも延びていた。1926年のことである。
ラジウムとベリリウムを混ぜておくと,ラジウムからのα線がベリリウムに当たり,(α,n)反応によって中性子が出てくる。イタリアのフェルミ(Fermi)は1934年,こうして出てくる中性子線で各種の元素を照射し,多数の新しいラジオアイソトープを発見した。
天然のラジオアイソトープを使ってトレーサー実験を行っていたヘベシーは,フェルミの報告を読み,人工ラジオアイソトープをトレーサーに利用した世界最初の論文(シービッツ:Chiewitzら,1935年)を発表する。その論文は次のような言葉で始まっている。「中性子照射によってラジオアイソトープを製造するという最近の進歩は,ラジオアイソトープ32Pを入手しやすいものにした。このアイソトープは……以前に鉛,ビスマスなどのラジオアイソトープをこれらの元素のインジケータとして使ったと同じ方法で,非放射性のリンのインジケータとして使うことができる……」。ヘベシーらがこの実験で使った32Pは,2硫化炭素10lをラジウム-ベリリウム中性子源で照射して自作したものである。
放射性ヨウ素が初めて使われたのも,ラジウム-ベリリウム中性子源でつくった128Iである。ボストンのハーツ(Hertz)らは,600〜1000mlのヨウ化エチルを入れたビンをパラフィンで包んで中性子を照射し,生成された放射性ヨウ素128Iをウサギに静注して,甲状腺機能の研究を行っている。これは1938年初めに報告された。
ラドン・ドリンキングとラジウム内用療法で始まった核医学治療は,1936年春,カリフォルニア大学のサイクロトロンから多種のラジオアイソトープが多量に供給されるようになって,新しい時代を迎える。
その最初は同年春から始められた24Naによる白血病治療である。この研究は,24Naがラジウムと違って組織に固着してしまわないこと,また,半減期がわずか14.8時間であることなどから,ラジウム体内投与治療の失敗の原因であった障害を避けて治療効果を上げるかもしれないとして始められたものである。しかし,最大53mCiまで投与した結果は,毒性も示さなかった代わりに治療効果もみとめられなかった。1936年暮には,白血病の治療にもっと適したアイソトープとして32Pが取り上げられた。その最初の患者は1936年12月に治療され,白血球数が減少したことがみとめられた。32Pはさらに真性赤血球増多症の治療にも利用され,副作用なしに赤血球数の減少と臨床症状の改善が見られている。
こうして始まった核医学治療は,現在の甲状腺機能亢進症に対する131I療法や,標識モノクローナル抗体によるがん治療へとつながっていく。 ラジウムCによる肺循環時間の測定から始まった核医学診断は,サイクロトロンや原子炉からのRIが提供されるようになって急速に立ち上がる。が,ここにも戦争の暗い影が忍び寄っていた。
世界の先頭を切ってサイクロトロンのアイソトープを利用できたカリフォルニア大学のグループは,1937年,11Cをトレーサーとして用い始めている。1940年ころには世界各国にかなりの数のサイクロトロンが設置され,ラジオアイソトープの生産が行われるようになった。しかし,第二次世界大戦のために欧州諸国はもちろんのこと,アメリカでさえサイクロトロンの医学関係への利用は制限され,大戦中はアメリカではMITのサイクロトロン1台に限って医学用に解放されていただけであるという。
1942年に初めてつくられた原子炉も,アイソトープ生産の重要な手段となった。しかし,原子炉はアメリカの戦時技術から生まれた関係で,その後も長くアメリカ原子力委員会の独占的支配下におかれた。アメリカ以外で原子炉製アイソトープが入手できるようになったのは,1947年9月3日から始まった同委員会の国際配布計画によってであり,また,日本ではこの配布計画の一環として1950年4月10日,原子炉製アイソトープが初めて輸入されている。
このころを境に原子力の平和利用が強力に推進され,核医学が誕生する。
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