研究テーマ

染色体の分配過程は、多細胞生物の恒常性を維持するための最も基本的な生命現象の一つです。ところが、多くのがん細胞では、細胞分裂のたびに染色体が多くなったり少なくなったりする「染色体の不安定性」がみられ、この性質の獲得と細胞の悪性化形質の獲得とが深く関連していると考えられています。つまり、癌細胞では、染色体の形成から分配を調節するシステムのどこかで破損している可能性があります。壊れたポイントを明らかにすることは、病気を理解するための本質的なことですが、そのためには先ず生理的な分子メカニズムを十分に理解していなくてはなりません。従って、染色体をつくる、染色体を動かす、染色体を娘細胞に分配する、この一連の過程すべてが私たちの研究対象です。現在は次のような課題に取り組んでいます。

(1)染色体の構築と分配

分離した直後の染色体

遺伝情報を担うクロマチンは、細胞の分裂に際して“染色体”に変換されることで、均等に配分されることを確実にしていると考えられています。ドイツの解剖学者Flemmingが染色体を記載して130余年来、多くの科学者によって染色体は研究されてきましたが、その高次構造がどのように成り立っているか?どのようにして2つに分けられるのか?といった最も基本的なことが未だ十分に説明できるようになっていません。

とは言っても、コンデンシンとコヒーシンと名付けられたタンパク質複合体の発見は、染色体研究の特記すべきブレークスルーです。コンデンシンは、姉妹染色分体の骨格とも言うべき軸索構造に濃縮して、染色体の形作りに寄与していると考えられています。しかし、コンデンシンの機能についてはさまざまなモデルが提唱されている段階であり、これからの重要な課題です。

一方、コヒーシンはDNAの合成直後から姉妹DNA鎖を束ねるリング状のタンパク質複合体です。分裂期に染色体が分離するためにはクロマチンから除かれなければなりませんが、ヒトの細胞では、コヒーシンは‘段階的に’解離することが分かってきました。即ち、前期から中期までに染色体腕部に存在するコヒーシンは 「分裂期キナーゼによるリン酸化」を受けて外され、次いで、後期の開始時に、主としてセントロメアに残存した(リン酸化抵抗性の)コヒーシンが「セパレースによる分解」を受けて除かれます。姉妹染色分体の分離に決定的な意味を持つセパレースの活性は、従って、厳重なコントロール下にある必要があります。セパレースの活性は、紡錘体チェックポイントによって、全ての動原体が微小管と適正に結合して、全ての染色体が両方向性を獲得するまで、完全に抑えられています。動原体でこれらの条件が揃うと、セパレースの活性化が誘導され、全ての姉妹染色分体がいっせいに分離すると考えられています(Picture1)。

無作為的な過程である動原体と微小管の結合は「ばらばらに」しか起こりませんが、「段階的なコヒーシン除去機構」及び「紡錘体チェックポイントという抑制的フィードバック機構」が介在することにより、染色体が「いっせいに」分離することを可能とし、過不足のない染色体の分配を保証しているようです。私たちは以下に述べるような様々な角度から、この仕掛けのからくりを解こうとしています。


(2)セントロメアの分子構造と機能

ヒト染色体のセントロメア

セントロメアとは染色体のほぼ中心にある少しくびれた部分をさします。その機能の1つは、染色体が凝縮するときに、動原体という微小管と染色体を接続する装置を形成すること。2つめは、姉妹染色分体のペアリング(「コヒージョン」という)を保障することです。大部分のコヒージョンは中期までに解除されますが、セントロメアにおいては分離が起こる後期までは決して外れません。このように最後の瞬間まで姉妹染色分体を「ペア」に保っておくことで、染色体の過不足ない分配を確実にしていると考えられています。従って、セントロメアは染色体動態の制御に中心的な役割を担う特殊な染色体ドメインであると言えます。このセントロメアについて、特異的な蛋白質や化学修飾の同定、あるいはその微小構造を明らかにしていくことで、その謎にアプローチしていきたいと考えています。


(3)紡錘体チェックポイントの研究

中期染色体の動原体

「紡錘体チェックポイント」は、動原体と微小管の相互作用の不具合に反応して、動原体より発信される“細胞分裂のブレーキ・シグナル”です。このシステムは、後期において姉妹染色分体を正確に2分するための“最終検問”として、細胞分裂に伴うゲノムの受け渡しを監視しています。近年の研究によって、紡錘体チェックポイントが作動すると、Mad2という分子が後期促進因子(APC/C)を抑えるために、後期への進行を阻止することが分かってきました。核膜崩壊後に全ての動原体が微小管に捕捉されて染色体が中期赤道面に整列するまでは後期の開始を阻止するために欠かせない仕掛けであると考えられます。私たちは、顕微鏡による生細胞の解析を中心として、分裂期チェックポイントの「インプット」と「アウトプット」の定量化を試み、その特性を調べています。癌細胞におけるチェックポイントの脆弱性と、染色体不安定性との関連性を検討したいと考えています。


(4)分裂期キナーゼの生理と病理

細胞分裂にかかわるリン酸化酵素群はまとめて「分裂期キナーゼ」と呼ばれます。これらの分裂期キナーゼの生理学、つまり、どのような制御をうけて、どのような局面において染色体の形成や分配に関わっているか、を紐解いていくことは、細胞分裂の分子背景を明らかにしていくための重要なアプローチの一つです。そのためには、分裂期キナーゼの酵素活性がどのように調節されているか、どのような動きをして、あるいはどのようなタンパク質をリン酸化し、それぞれの意義は何か、といったことをつぶさに調べていく必要があります。

また、興味深いことに、これらの分裂期キナーゼは、その調節異常が細胞の悪性化と関連していることを示唆する結果が得られています。たとえば、形質変換能を有するAuroraキナーゼは多くのがんで過剰発現や機能亢進していることが見出されています。なぜ分裂期キナーゼの調節異常ががんをひき起こすのかはまだよく説明できていません。生理的な役割が破綻することによっておこる分裂期の異常が寄与すると考えられていますが、私たちは、分裂期キナーゼが異常なふるまいをするがん細胞においては、新たに細胞の形質変化をもたらすような病的な生化学反応やカスケードを活性化している可能性もあるのではないか、いう視点をも追究しています。各キナーゼの病理的役割を追求することは、分子標的治療薬の開発という観点からも大切です。