細胞検査士養成所について

卒業生の声

46回生 瀬戸口 知里

私は大学生の頃に病理学の中でも細胞診断学に興味を持ちました。細胞検査士の資格を取得するためには、試験に合格するのが大前提ですが、この試験が難しく合格率は全国で30%ほどだそうです。これは、臨床検査技師として働きながら資格取得を目指す受験者が多く、その方々はやはり勉強時間の確保が難しいということで、はじめての試験で資格を取得される方は少ないそうです。私が働く前にこの養成所に入学した理由は、働きながらの勉強時間の確保が自分で出来るかどうか不安だったことと、資格を取得するからにはしっかり基礎から細胞診を学び、細胞検査士として社会に出たかったからです。そしてこの養成所に入学して正解だったと思っています。私が正解だと思えた理由をいくつか挙げます。

@ 勉強するための最高の設備

まず入学した初日に驚いたことは1人ずつに机と顕微鏡があることでした。入学してから行うことは、与えられた机と顕微鏡に愛着を持つことだと思います。これから一緒に寄り添っていく味方なのですから、居心地の良い空間をつくることをお勧めします。次に驚いたものは教室の後ろにある学生全員で一度に見られる顕微鏡です。こちらで講師の方々に教わることや、学生同士で同じ標本を見て意見を交わすことも可能です。
2014年から新しい教室になりました。窓から東京タワーと東京スカイツリーを1度に見ることが出来るそうです。角度を変えればお台場やディズニーシーの花火も見られると思います。新しい教室から、入学される皆さんで養成所に新しい風を吹き込んでください!

A 勉強するための最高の環境

恵まれた設備で勉強するのですが、少人数制がゆえに分からないことは講師の方々や細胞診断部の方々にすぐ質問することが出来、丁寧に納得のいくまで教えてもらえます。また、教えに来てくださる講師の方々が細胞診断学で著明な方々ばかりです。働きながら勉強するとこのような機会はありえないと思います。入学してから試験までは、朝から夜遅くまで、さらに土日も好きなだけ勉強することが出来ます。がん専門病院のがん研らしく、検体の数もさることながら試験的に覚えるべき検体標本から珍しい症例標本も豊富にありますので、もっと勉強したい、標本を見たいという意欲がどんどん湧いてくると思います。

B 勉強するための最高の仲間

一緒に入学した人達とは年齢も経歴も異なりますが同じ目的意識を持っています。はじめはぎこちないかもしれませんが、毎日朝から夜まで一緒に勉強し、時には全員で息抜きをする。こうして苦楽を共に過ごしていくうちに全員に信頼関係が生まれ、互いをフォローし合うようになり、家族のような仲間意識が芽生えてきます。標本を一緒に鏡顕して、細胞の見方や診断についての意見を述べ、話し合うことで仲間と共に成長していると実感できるでしょう。

この養成所に入学しなければ、体験できないことがたくさんあります。ぜひ入学をお待ちしています!

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39回生 形山幸子、勝美綾子

私はがん研でとても充実したの9ヶ月間を過ごすことが出来ました。その中でがん研細胞検査士養成所のお勧めポイントをたくさん見つけました。その中で主なものを挙げると次の4つになると思います。

まず1つ目に指導して下さる先生方がすばらしいことです。

講師の先生方や細胞診断部の方々が優しく暖かく親切に指導して下さいます。また、少人数制なので分からないところはすぐに聞くことができ、納得のいくまで丁寧に教えてくれます。

2つ目は、好きなだけ勉強できることです。

7ヶ月間(2次試験対策の期間を含めて9ヶ月間)朝早くから終電近くまで、また土日や祝日もがん研に来て勉強することができます。全員で同じ目標に向かっていくので分からないところは学生同士で教え合うこともできます。また、検体が豊富でいろいろな分野の標本を好きなだけ自由に鏡検することができます。

3つ目は卒業後も長く付き合っていける仲間に出会えることです。

毎日朝から夜まで長い時間を一緒に過ごしたり、全員で旅行や飲み会を重ねたりしていくうちにお互いを信頼し、より深く理解していくことができます。

4つ目は、養成所(病院)の環境が良いことです。

駅から近く養成所の大きな窓からは海も見えます。夜には花火が見え、みんなの疲れた心を癒してくれます(笑)

私は卒業してから1年が経つ今でもがん研での日々はキラキラした素敵な思い出です。がん研で勉強したということも大切な仲間が出来たということも誇りに思います。また、就職後もがん研に行き、鏡検して知識を深められるよう努めています。卒業後も気軽に足を運べる、そんな所もがん研の魅力のひとつではないでしょうか。

こんな恵まれた環境の中で生活出来るがん研細胞検査士養成所を私は自信を持ってお勧めします!

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38回生 養成所のいろんな話編

がん研有明病院細胞検査士養成所の良いところ

1、「たくさんの先生方」

入学当初はあまりわからないのですが、細胞診を教えてくれる先生方は有名な人達ばかり。1人ひとりにわかりやすく丁寧に教えてくれ、質問もしやすいです。 
なので…あとは自分の努力次第!

2、「My机・My顕微鏡」

一人ずつの広い机と新しい顕微鏡。たくさんの標本と症例。
12人が一度に観ることのできるディスカッション顕微鏡。
環境は整っているので…あとは自分の努力次第!

3、「○回生」

養成所を卒業し先輩や後輩と話をするときには「何回生?」という話から始まる。普通今まで卒業してきた学校で自分が何回生だろう?なんて意識しないその「何回生」は、皆が約9ヶ月間ミッチリと濃い学生生活を送ってきたしるしと、卒業してもずっと関わっていく、多くの先輩方をわかりやすくしている「しるし」です。「○回生です」と言えるようになるのもがん研養成所で勉強した証。あとは入学するため、自分の努力次第!

4、「標本と夜景」

日本全国から患者さんの集まるがん研病院には、他院ではみる事の出来ないような希少な症例から基本的に覚えるべき症例・疾患など多くの標本があり、その標本をみせてもらうことが出来ます。試験前は毎日終電まで何時間も顕微鏡をみているので、疲れたときは右に東京ディズニーランドの花火、羽田に離着陸する飛行機、廊下に出ると小さいけど東京タワーなど、夜景をみて気分転換できます。そのあとは自分の努力次第!

5、「友達で家族」

養成所に入って間もないころは誰もが「細胞検査士の試験に合格すれば友達もそこそこでいいや」と思っていますが、夏を迎えるころには誰もが「皆で合格するぞ!」という気持ちになっています。そしてこの友達がいないと合格できないものなのです。不思議です。朝から夜中まで一日中一緒にいる友達は、もう家族のような感じです。同じ目的を持った仲間たちが集まり勉強でき、旅行にも行けてしまうがん研養成所ならではだと思います。一生モノの仲間と合格!!…皆の協力と自分の努力次第!
最後に…細胞検査士を目指しているなら基礎から学べておもしろいがん研をお勧めします。
ぜひ見学に行ってみてください。

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32回生 九十九 葉子

九十九 葉子現職:大森赤十字病院 病理検査室勤務

養成所を卒業してあっという間に早11年が経ちました。現在私は、一般総合病院の病理検査室に勤務しています。働きながら検査士を目指す方がほとんどであると思いますが、7ヶ月間しっかり細胞診断学を学び、知識を広げる時間を自分に作ってあげて試験に臨みたい、と考え養成所に入学しました。

養成所での7ヶ月間は、それまでに経験がないほど充実したものでした。年齢も経験も様々なクラスメートですが、みんなで毎日のように朝から夜まで顕微鏡とにらめっこをし、時には息抜きの宴会。まさに「よく遊び、よく学べ」といったところでしょうか。
養成所ではたくさんの先生方が講義をしてくださいます。細胞診断部の先生方、養成所の卒業生はもちろん、著名な先生方も講義に来てくださいます。基礎から最新の知識まで盛りだくさんで、講義のノートは今でも常に私の傍らにあります。卒業後に待っている認定試験はかなりのプレッシャーを感じましたが、試験会場には、講義に来てくださった先生方が・・・。いつもの教室(?)とは行きませんが、緊張も和らぎます。
そして、半年以上家族より長い時間を一緒に過ごした仲間。勉強しているときはもちろん、卒業し、就職しても困ったときには何でも相談できる存在です。また、回生は違っていても「がん研の卒業生」という繋がりはいつも有り難く、とても頼もしく感じています。
有明に移転して、養成所も広くなり設備もとても充実しています(大塚世代の私にはうらやましい限りです・・・)。
トップレベルの講師の先生方、そしてかけがえのない仲間が養成所にはいます。入学、お待ちしています!!

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27回生 山城 篤

山城 篤現職:那覇市立病院 医療支援部検査室

現在、私は日本臨床細胞学会沖縄県支部に所属し、日本細胞診断学推進協会代議員および細胞検査士会沖縄県代表者を担当させて頂いております。養成所時代を思い起こすと、やはり最初に目に浮かぶのは、大塚時代の施設と当時の都竹さんをはじめとする細胞診断部のスタッフです。私にとって、その期間に人生の大 きなものを学んだ気がします。今後も、養成所出身者の誇りを抱いて、沖縄県を支えていきたいと思います。

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20回生 川本真由美

川本真由美medica 細胞診断部 スイス・チューリッヒ

「宝の宝庫の養成所」

私が20年以上もこの仕事をやっていられるのは、毎日全力で仕事をしているからだと思う。人間から採られた細胞なのに、一人として同じ細胞像を持っていないのは驚くべきことだ。標本には患者さんの命がのっているのだからおろそかにはできない。難しい標本に出くわしたときは、初心に戻って養成所で学んだことを思いだす。「臨床所見は?核・細胞質の比は?クロマティンは?核形は?背景は?・・・」 それと同時に細胞を見せながら教えてくださった診断部のスタッフ達のことも思い出される。未だに都竹さんのことを思い出すと涙する私だが、養成所での学びが今の私の土台になっている。スタッフの皆さんのおかげで今の私があるのだと思うと感謝してもしきれない。養成所では夜中まで顕微鏡を見ても、時間が足りない、もっといろいろな標本を見たいと思ったものだ。宝の中に埋もれて学んでいるようなものだった。私の人生の中で一番充実し楽しかったかもしれない。あのころにタイムスリップしたい。
ミイラ(=がん)捕りである私が2007年にミイラになったが今は薬だけの治療だ。なんと感謝なことだろう! 今は人のためにお役に立てさせてもらっている、いや、そう思っていたいのだ。日本人のために働いてはいないが人類皆同じ。できるまでこの仕事を続けたい。

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12回生 阿部一之助

阿部一之助現 職:(株)秋田病理組織細胞診研究センター 代表取締役

「私のなかにある小さなプライド」

養成所を卒業して33年、各地で行われる学会や研修会で多くの同窓生と話す機会があるが、挨拶は決まって「何回生ですか?」から始まる。
あの6ヶ月の養成所生活。最前線で活躍しておられる先生方の講義と実習は新鮮でありとても難しかった。また夜半まで続く鏡検自習は辛すぎて、あの仲間がいなければ乗り越えられなかったかもしれない。
「何回生ですか?」の挨拶は、そんな辛い思いを経験した者だけに通じる合言葉のようなものだ。
その合言葉は小さなプライドとして、秋田という地で地域医療を担う私の心に灯り続けている。

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鈴木園子

私ががん研の細胞検査士養成所に入学して得られるものは大きく分けて3つあると考えます。

1つは一から細胞診を学ぶ仲間が出来ることです。

細胞診を学ぶ上で、私たちは細胞の見方について日々深く考え悩むことになります。
そんな時に細胞検査士養成所でなら、一つの細胞の見方について一緒に学ぶ仲間と供に納得が行くまでとことん話し合うことが出来きます。
細胞の見方について自分の意見を主張することや他人と話合うと言うのは簡単なようでとても難しいことです。
しかし、一から細胞を学ぶという同じ立場においては意見をぶつけ合うことも出来るし、その事が自分の成長や仲間との信頼関係を築くことへと繋がることになります。
また、人数が少人数のため旅行や飲み会など、勉強以外にも多くの楽しい時間を過ごす事が出来ます。

2つめは細胞診を学ぶうえで魅力的な環境だということです。

私たちには一人一台顕微鏡が用意されています。
その顕微鏡を使用して毎日好きなだけ細胞と向き合い勉強することが出来ます。
細胞診養成所には、細胞診の第一人者である細胞診断部の先生方を始めとし、多くの施設から有名な講師の先生方が様々な標本を持って指導にいらしてくれます。
講師の先生を含め全員でディスカッション顕微鏡を使用しお互いの目を合わせながら学んだり、多くの教育標本と納得いくまで向き合うことで細胞診の力を身につけることが出来るようになります。
そして、ざまな施設の標本を見ることが出来る機会に恵まれていたことが、実際職場で働くと貴重な体験であったのだと気がつくことになるでしょう。

3つめに細胞検査士として働く中で大きな力になってくれることです。

私たちはそれぞれ養成所を卒業し就職すると、細胞診断業務に携わることになります。
日々のルーチンワーク中には細胞診断について悩むことも出て来ます。
そんな時には、がん研の細胞診断部に標本を見に行ったり、先生に相談することで自分の細胞の見方について復習し細胞の見方についてのクライテリアを固め直すことが出来るのです。
細胞診断に悩んだ時に一人で悩まずに誰かに相談し、的確なアドバイスを受けることが出来ると言うのはとても心強いことです。
そんな、細胞診養成所の先生や同期の仲間、先輩、後輩との繋がりは細胞検査士として働くさまざまな場面で自分のかけがえのない味方となります。

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4回生 齋藤博子

齋藤博子 「プロになること」と「プロであること」

がん研の養成所を卒業して、ン十年が経つ。更に、千葉大学や国立病院などの勤務を、リタイアして丸6年の上を過ぎた。現在は、重粒子医科学センター病院(放射線医学総合研究所)と東部地域病院(東京都公社)で週三日働かせて頂いている。それ以外の日は、趣味の日本舞踊の稽古と、地域の小学校のボランテイアをしている。又、文化庁の委嘱を受け、これもボランテイアで、地域の小学生に日本舞踊を教えている。以上のように現役時代と大差なく忙しい日々を過ごしている。

さて、今秋(10月)に貴重な体験をしました。それは、各お流儀のプロの日本舞踊家と一緒に、日本舞踊の舞台を踏ませて頂いた事です。40人位の、東京に在住のお師匠さん方に混じ、私の踊った時間は僅か15分位でしたが、唯只管緊張しておりました。そのお師匠さん方は、多くの弟子を抱え「踊りを生業」に、舞台にテレビにと活躍されている方々で、つまり、全くの真のプロの舞踊家ばかりです。それに引き換え、日本舞踊を趣味としているのは、私一人(私の生業は細胞診)なのです。その舞台の為の稽古には、芝居仕立てでする踊りの脚本を渡され、踊りの振りはたったの2〜3回程度教えられるだけです。それでも、プロのお師匠さん方は、覚えられ、その上、芝居や踊りの一部が変更(それも口頭で)になっても直ぐにその場できちんと形にしてしまうのです。役柄や年恰好によっての踊り方の違いも、「深川芸者のように」とか「年頃の町娘」と言うような説明だけで、見るからに、その様な役になりきれるのです。台詞も「女言葉で」とか「怒って」などの指示で表現出来てしまうのです。普段の稽古では、師匠に何度も教えて頂いている私には、不可能な事ばかりで、手も足も出ませんでした。プロの舞踊家に混じってしまった事は、例えようもない経験であり、今も、プロの舞踊家の一挙手一投足が眼の奥に焼き付き、声が耳の中に残っております。私も日本舞踊では、名取になり、その上の師範の資格も頂きましたが、やはり趣味の範疇であれば、「プロになった」のであり、「プロである事」とは全く異なります。プロのお師匠さん方との芸の差と覚悟の程は、歴然としており、「プロになった」事と「プロである事」の違いをまざまざと思い知らされました。

プロになる時は、大方試験があり、どの分野であれ、免許証などが発行されるが、プロである事は、個人の向上心と研鑽が必須である。更にプロは誇りを大切にするが、誇りには謙虚さの裏付けがなければならないと思う。細胞診も同様であり、細胞検査士の資格を得た事は、「プロになった」という事であり、これはスタートラインに立てたという事である。仕事をする事により、「標本は患者さんそのものである」と言う事を学び、それから研究・講演・学会発表・講義などを経験する事で、他人様が評価して下さり「プロである」と言えるようになる。

がん研の楽しかった(本当に楽しかった)養成所を卒業した後、私は前述のような種々の経験をさせて頂き、細胞検査士として「プロである」と自負(厚かましいでしょうか?)している。お陰様で、リタイア後も2つの病院に勤務しており、その事に感謝し、これからも依頼された事には快く応じられるよう努力するつもりである。さァ、CTであり続けるための勉強を、老化現象が加速している頭に詰め込み、患者さん(標本)の為にお役に立てるならば、少しでも働かせて頂こうと思う。又、日本舞踊でも、「プロである事」を目指し精進していこうと考えている。

2010年12月記
齋藤博子:第4回生、CT( JSC 179, IAC 315)
坂東博友璃(坂東流芸名):(9-3124)

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