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【ニュースリリース】沖縄のサンゴ礁にすむ海洋生物から強力な細胞増殖阻害物質を発見 −抗がん剤への応用が期待−

2022年06月13日

慶應義塾大学大学院理工学研究科の栗澤尚瑛(博士課程3年)、寺沼和哉(修士課程2年)、同大学理工学部の岩崎有紘専任講師、末永聖武教授は、伊江島(沖縄県伊江村)のサンゴ礁で採集した海洋シアノバクテリア*1から、抗がん剤への応用が期待される強力な細胞増殖阻害物質を発見しました。

生物がつくる物質には、病気の治療に有効な作用をもつものが含まれます。こうした物質を新しく発見するために、研究チームは沖縄・奄美地方の海洋生物を対象に探索を続けてきました。その結果、伊江島のサンゴ礁で採集した海洋シアノバクテリアから、極めて低濃度で細胞の増殖を抑える新しい化学物質を発見し、イエゾシドと名付けました。詳細な解析の結果、イエゾシドは細胞内にある小胞体膜上のカルシウムイオンポンプ(SERCA)*2の働きを強力に抑える作用をもち、その強さはこれまで人類が発見した化学物質の中で2番目に強いものであることを明らかにしました。さらに研究チームはイエゾシドの化学合成にも成功し、大量供給ルートを開拓しました。SERCA は、近年がんの治療標的として注目を集めているタンパク質で、実際に SERCA を標的とする前立腺がんの治療薬開発が進められています。そのため、今回発見したイエゾシドが、抗がん剤開発に応用されることが期待されます。

本研究は、公益財団法人がん研究会の旦慎吾博士、東京大学定量生命科学研究所の豊島近特任教授、弘前大学の橋本勝教授との共同研究で実施されました。本研究成果は米国化学会が発行する Journal of the American Chemical Society 誌のオンライン版で6月8日に発表されました。


1.本研究のポイント
・沖縄県にある伊江島のサンゴ礁に生息する海洋シアノバクテリアから、極めて強力な細胞増殖阻害物質を発見した。
・作用解析の結果、がんの治療標的として注目されているタンパク質の働きを、史上2番目の強さで抑えることを明らかにした。
・化学合成による大量供給ルートの開発にも成功した。抗がん剤開発への応用が期待される。

2.研究背景
アオカビのつくる抗生物質のペニシリンに代表されるように、生物のつくる物質には病気の治療に有効な作用をもつものが含まれます。こうした物質の探索は、植物や菌類などを対象として、世界各地で行われています。本研究グループは、島国である日本の特徴を生かし、沖縄や奄美群島のサンゴ礁に生息する海洋生物に注目して物質探索を進めてきました。近年は、特に海洋シアノバクテリアという微生物に注目し、がんや感染症の治療に有望な物質の探索を進めてきました。

3.研究内容・成果
2020年7月に伊江島の東海岸のサンゴ礁で、これまでまったく見たことのないシアノバクテリアが生息していることを発見しました。この生物に興味をもち、250 グラムを採集して含有成分を調べたところ、ナノモルレベルの低濃度で細胞の増殖を抑える物質を発見し、イエゾシドと命名しました。イエゾシドの化学構造は、様々な分解反応やスペクトル解析に加え、高性能コンピューターを用いた分子のシミュレーションを行うことで明らかにしました。その結果、イエゾシドはこれまで発見されてきた物質とは類似性が低い、新規性の高い物質であることがわかりました。
イエゾシドによる細胞増殖抑制メカニズム解明のために、JFCR39がん細胞パネル解析を実施した結果、小胞体膜上のカルシウムイオンポンプ(SERCA)阻害剤であることが予測され、実験的にSERCAの働きを強力に抑えることを証明しました。その強さは、これまでに人類が発見した化学物質の中で2番目に強いものでした。
このように強力な作用をもつイエゾシドは、シアノバクテリア約 250 グラムから、たった 5 ミリグラムしかとれない希少な物質でした。さらに、その後何度も伊江島を訪れたものの、同じシアノバクテリアを見つけることができず、自然界からの再入手が非常に困難でした。そこで大量供給ルートの開発に取り組み、イエゾシドの化学合成を達成しました。これによって、いつでも必要なときにイエゾシドを入手することが可能となりました。


4.今後の展開
SERCA は抗がん剤の標的として注目されているタンパク質です。現時点で最も強力な SERCA 阻害剤であるタプシガルギン(およそ 45 年前に植物から発見、イエゾシドの約 7 倍強力)は、現在、前立腺がんの治療薬として開発が進められています。このタプシガルギンが三次元的に非常に複雑な化学構造である一方、イエゾシドの化学構造はよりシンプルです。このことは、より低労力で合成できる点で、創薬研究に有利です。また、両化合物の構造が全く違うことから、SERCA の異なる部分に結合することで働きを抑えることが予想されます。そのため、一方に薬剤耐性をもつがんが出現した際に、他方で代替できる可能性があります。これらの点から、イエゾシドを用いた抗がん剤の開発が期待されます。
また、これまでに SERCA 阻害剤は、自然界からはあまり見つかっていません。それにもかかわらず、本研究グループでは、これまでに沖縄・奄美のサンゴ礁海域で採集した海洋シアノバクテリアから4つの SERCA 阻害剤を発見しています。本研究グループは、海洋シアノバクテリアが SERCA 阻害剤を好んでもつ理由にも注目しています。今後は、海洋シアノバクテリアとサンゴ礁に生息する生物の、化学物質を介したコミュニケーションを解明することを通じて、世界中で減少が深刻化しているサンゴ礁の保全につながる知見を得ていきたいと考えています。
最後に、これほど強力な作用をもつ物質が、沖縄の海の生物から発見されたことは大きな驚きです。日本の南西諸島の海洋生物は、まだ多くの有用な物質を隠しもっていると考えています。人類にとって有用な物質の発見を継続するためにも、南西諸島の自然環境保護の重要性を化学者の立場から訴えていきたいと考えています。

<謝辞>
本研究はJSPS科研費18K14346、19H00975、20H02870、21J13608、慶應義塾学事振興資金の助成を受けたものです。また、JFCR39がん細胞パネル解析は、JSPS科研費JP 16H06276先端モデル動物支援プラットフォーム(AdAMS)分子プロファイリング支援活動の研究支援によるものです。すべての研究支援に感謝いたします。

<参考文献>
本研究グループがこれまでに発見した SERCA 阻害剤に関する論文
1.Teruya, T.; Sasaki, H.; Kitamura, K.; Nakayama, T.; Suenaga, K. Biselyngbyaside, a Macrolide Glycoside from the Marine Cyanobacterium Lyngbya sp. Organic Letters 2009, 11, 2421-2424.
2.Ohno, O.; Watanabe, A.; Morita, M.; Suenaga, K. Biselyngbyolide B, a Novel ER Stress-inducer Isolated from the Marine Cyanobacterium Lyngbya sp. Chemistry Letters 2014, 43, 287-289.
3.Morita, M.; Ogawa, H.; Ohno, O.; Yamori, T.; Suenaga, K.; Toyoshima, C. Biselyngbyasides, Cytotoxic Marine Macrolides, are Novel and Potent Inhibitors of the Ca2+ Pumps with a Unique Mode of Binding. FEBS Letters 2015, 589, 1406-1411.
4.Iwasaki, A.; Ohno, O.; Sumimoto, S.; Suda, S.; Suenaga, K. Kurahyne, an acetylene-containing lipopeptide from a marine cyanobacterial assemblage of Lyngbya sp. RSC Advances 2014, 4, 12840-12843.
5.Iwasaki, A.; Ohno, O.; Katsuyama, S.; Morita, M.; Sasazawa, Y.; Dan, S.; Simizu, S. Yamori, T.; Suenaga, K. Identification of a Molecular Target of Kurahyne, an Apoptosis-inducing Lipopeptide from Marine Cyanobacterial Assemblages. Bioorganic & Medicinal Chemistry Letters 2015, 25, 5295-5298.

<原論文情報>
“Structural Determination, Total Synthesis, and Biological Activity of Iezoside, a Highly Potent Ca2+-ATPase Inhibitor from the Marine Cyanobacterium Leptochromothrix valpauliae
Naoaki Kurisawa, Arihiro Iwasaki*, Kazuya Teranuma, Shingo Dan, Chikashi Toyoshima, Masaru Hashimoto, and Kiyotake Suenaga*
Journal of the American Chemical Society, doi: 10.1021/jacs.2c04459

<用語説明>
※1シアノバクテリア
光合成を行う原核生物。約30億年前から地球に存在する原始的な生き物で、現在の酸素豊富な大気の形成に貢献したと考えられています。ある種のシアノバクテリアは、様々な生物活性をもつ化学物質を生産することが知られており、本研究グループを含む国内の数グループと、米国のグループを中心に、物質探索が進められています。

※2小胞体膜上のカルシウムイオンポンプ(Sarco/endoplasmic reticulum calcium ATPase, 略称 SERCA )
小胞体は、タンパク質の合成に重要な役割を果たす細胞内小器官です。その正常な動作には小胞体内のカルシウムイオンが高濃度に保たれていることが必須で、SERCA はカルシウムイオンを小胞体に汲み上げる役割をもつタンパク質です。SERCA が正常に動作しなくなってしまうと、小胞体内のカルシウムイオン濃度が低下するために不良タンパク質が蓄積し、細胞はストレス状態に陥ります。過度のストレス状態が継続すると、細胞は自殺プログラムを発動して死に至ります(=アポトーシス)。

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