【ニュースリリース】アルツハイマー病のアミロイド病理に関連して変動する エクソソームタンパク質カテプシンBを脳脊髄液と血液から発見 〜アルツハイマー病の新規早期診断法、治療薬開発に繋がる手がかり〜
2023年12月11日
【発表のポイント】
・アルツハイマー病を引き起こす病態変化前後の脳脊髄液を集め、その中に含まれる細胞外小胞(エクソソーム)のタンパク質を網羅的に分析した。
・カテプシンBを含む11種類のエクソソーム含有タンパク質がアルツハイマー病の進行で増減することを発見した。
・脳脊髄液のみならず血液中のエクソソームに含まれるカテプシンBは脳アミロイドβ量と相関していた。
・エクソソーム中カテプシンBはアルツハイマー病の新たな早期診断バイオマーカーや治療のターゲットとして期待される。
【発表者】
国家公務員共済組合連合会虎の門病院 認知症科、冲中記念成人病研究所 井桁之総 (研究責任者)
北海道大学大学院先端生命科学研究院 脂質機能性解明研究部門 湯山耕平
北海道大学大学院先端生命科学研究院 脂質機能性解明研究部門 孫慧
がん研究会がんプレシジョン医療研究センター 植田幸嗣
がん研究会がんプレシジョン医療研究センター 藤井理沙
日本赤十字看護大学 看護学部(研究発足時) 逸見 功
【発表の要旨】
国家公務員共済組合連合会虎の門病院 認知症科 井桁之総、北海道大学大学院先端生命科学研究院 脂質機能性解明研究部門 湯山耕平、がん研究会がんプレシジョン医療研究センター 植田幸嗣らを中心とする研究グループは、アルツハイマー病(注1)病態が生じる前後の被験者の脳脊髄液(注2)からエクソソーム(注3)を抽出し、そこに含まれるタンパク質を網羅的に分析しました。その結果、アルツハイマー病の進行過程で量的に変動する11種類のエクソソーム含有タンパク質が同定され、なかでもカテプシンBは脳脊髄液のアミロイドβ量と相関していました。
認知症の約6割を占めるアルツハイマー病は、発症の10年以上前から病気の原因となる脳の病変が始まることが知られています。病変の進行程度はATN分類(アミロイドβ病理[A]、タウタンパク質病理[T]、神経変性[N])と呼ばれる分類法(注4)によって区分されます。今回の研究ではまず、アルツハイマー病、軽度認知機能障害(MCI)、正常者から脳脊髄液を丁寧に採取・収集しATN分類を行いました。さらにアルツハイマー病の病理変化が確実な被験者と全く正常な被験者に絞り込みました。そして脳脊髄液からエクソソームを単離し、エクソソームに含まれるタンパク質を世界最高感度の質量分析装置で網羅的に定量分析しました。その結果、エクソソーム内に1,756種類のタンパク質が同定され、その中で異なるATN分類ステージ間(アルツハイマー病の病理が進行する過程)で量的に変動するタンパク質が11種類発見されました。
正常期とアミロイドβ病理期の間で変動を示したエクソソームタンパク質の一つであるカテプシンB(注5)は、136例の大規模検証実験で脳脊髄液のみならず、血液中のエクソソームにおいても同様の変動が確認されました。エクソソームは脳疾患の情報がわかる血液バイオマーカーとしての利用が期待されており、今回の発見はアルツハイマー病の新たな診断用バイオマーカー開発の手がかりとなる可能性があります。同時にこれらのエクソソームタンパク質の変化はアルツハイマー病の病理形成のメカニズムに関与する可能性もあり、治療の標的候補としても研究の進展が期待されます。
なお、本研究成果は、日本時間2023年12月11日(月)公開の医学誌『Brain』オンライン版に掲載される予定です。
【研究の背景】
厚生労働省によりますと、日本の認知症の患者は2020年の時点で600万人と推計され2025年にはおよそ700万人にのぼると予測されています。アルツハイマー病(以下「AD」という。)は、認知症の原因となる病気の一つで日本では認知症と診断された高齢者の6割以上を占めています。ADを発症した人の脳では、「アミロイドβ(以下「Aβ」という。)」や「リン酸化タウ(以下「p-Tau」という。)」と呼ばれる異常なタンパク質がたまっており、これにより神経細胞が壊れ、脳が萎縮し、脳の働きが低下すると考えられています。
AD発症の約25年前からAβが脳に蓄積を開始すると脳脊髄液(以下「CSF」という。)中のAβ42(注6)は減少し、約10年前からCSF中のp-Tauが増加します。やがて活性化ミクログリアが神経炎症を引き起こす一連の神経変性の過程はアミロイドカスケード仮説と呼ばれ、現在の病態修飾薬開発の主流になっています。またエクソソームを介して神経細胞間でこれらの病原性タンパク質が拡散し、病気が進行すると言われています。
一方、AD病態修飾薬の開発研究ともに早期診断を目指す取り組みも加速し2018年、米国の国立老化研究所とアルツハイマー協会(NIA-AA)はバイオマーカーによるADの病理学的な進行過程を分類したガイドラインであるATN分類(注4)を開発し、臨床診断から生化学的診断への移行を導きました。これからヒントを得た我々は、ATN分類を単なる分類ではなく、正常 ➡ Aβ蓄積 ➡p-Tau蓄積/神経変性のそれぞれの変化で生じる固有のタンパク質を一網打尽に捉えることができるツールと考えました。しかし、CSF採取・保存の過程ではAβなどの吸着しやすいタンパク質は非常に失われやすく、採取者や施設間で測定誤差が生じることが問題になっています。そこで、単一施設の一人の医師が、タンパク質が吸着しにくい器具で繰り返し髄液を採取し、髄液に含まれるタンパク質の変性と吸着による喪失を防ぎました。さらに採取からなるべく早く凍結保存するため、虎の門病院臨床検査部のシステムを利用し検体の品質管理を行いました。これらの検体を用い、エクソソームを対象にした新しい病因タンパク質とバイオマーカー候補の探索が行われました。なお、この研究は虎の門病院臨床研究倫理委員会に承認され(臨床研究番号1388)ヒトを対象とした医療および健康研究倫理ガイドラインに準拠して実施されました。
【研究手法と成果】
この研究は2017年4月から2021年4月に虎の門病院の認知症科外来で行われ、136人の日本人患者(男性71人、女性65人、平均年齢71.3歳)が同意を基に参加しました。AD患者50人、MCI患者26人、および正常対照者60人でした。採取・保存されたCSF検体のAβ42、p-Tau、総タウ(t-Tau)を測定し、ATN分類が行われました。次にSNAP群(注7)を完全に除外し、ADバイオマーカー値が正常な患者と純粋なAD患者のみを選択し(A探索実験)、疾患の病理学的進行と関連する一連のエクソソームタンパク質を同定するためにCSF エクソソームのプロテオミクスプロファイリング(注8)を実施しました (図1)。
CSFから精製されたエクソソームは、Orbitrap Fusion Lumos質量分析装置(Thermo Scientific社)を使用して分析され、1,756種類のタンパク質が検出されました。その中から正常➡Aβ蓄積➡p-Tau蓄積/神経変性と病理変化が進行する過程で、その量が変化する11種類のタンパク質が見つかりました (図2)。
これらのタンパク質のうちカテプシンBは、大規模検証実験においてもCSFおよび血液中のエクソソームで統計学的に有意な量的変動が確認されました。具体的には、ATN分類においてA-T-N-からA+T-N±に変化するとCSFエクソソーム含有カテプシンBが増加していました(図3)。 Aβ陰性(A-)と比較してAβ陽性(A+)ではCSFエクソソーム含有カテプシンB量が増加し(図4)、CSF-Aβ42量(アミロイド病理の指標)と相関していました(図5)。
これらのタンパク質はADの病因に関与するだけでなく、純粋なアルツハイマー病患者を特定するための新たなバイオマーカー候補と治療のターゲットとして利用できる可能性があります。同定された11種のタンパク質の中にいままで知られていなかったアルツハイマー病の発症の原因が隠れている可能性があります。とくにカテプシンBはアルツハイマー病の早期病理のアミロイド形成段階から関わっているという説があり、カテプシンBの働きを妨げる薬の中にはアミロイドβの産生を低下させるものもあります。血中エクソソームカテプシンBの計測によって脳内Aβ蓄積を早期に検出できる可能性があり、企業と協力し血液内のエクソソームカテプシンBを簡便、安価に検出できる早期アルツハイマー病診断キットの開発をしています。
【原著論文タイトル】
Extracellular Vesicle Proteome Unveils Cathepsin B Connection to Alzheimer’s Disease Pathogenesis.
【著者名】Kohei Yuyama, Hui Sun, Risa Fujii, Isao Hemmi, Koji Ueda and Yukifusa Igeta*
【掲載誌名】Brain
【出版社名】Oxford University Press.
【DOI】10.1093/brain/awad361.
【謝辞】
本研究にご協力頂きました、たくさんの患者さんとそのご家族に心から感謝申し上げます。
【用語解説】
(注1)アルツハイマー病は進行性の神経変性疾患で、記憶障害や判断力の低下が主症状です。脳内にアミロイドタンパク質とリン酸化タウタンパク質が蓄積し、神経細胞死を起こします。軽度の記憶障害から始まり、段階的に高次脳機能障害が進行します。病態修飾療法が開発され、抗アミロイド療法であるレカネマブが本邦で初めて保険承認になりました。
(注2)脳脊髄液は脳室を満たす無色透明な液体でアルツハイマー病など脳疾患の原因タンパク質が排泄されています。認知症の診断に多くの有益なタンパク質情報をもたらします。
(注3)エクソソームはあらゆる細胞から分泌される直径数十ナノメートルサイズの細胞外小胞の一種で分泌元細胞のタンパク質、脂質、核酸が含まれます。血液など体液からエクソソームを介して病因細胞の分子情報を検出する診断法はリキッドバイオプシー(体液生検)とも言われ、血液から脳細胞のさまざまタンパク質や遺伝子の情報にアクセスする手段として重要です。
(注4)ATN分類は、アルツハイマー病の症状は考慮に入れず、病理の進行段階を評価するシステムです。A-T-N-(すべてのバイオマーカーが正常)、A+T-N-(アミロイドのみ陽性)などと表現されます。臨床診断されたアルツハイマー型認知症の約30%は、SNAP (suspected non-Alzheimer's disease pathophysiology )と呼ばれるアルツハイマー病ではない疾患(A-T+N±、A-T-N+)が含まれます。ATN分類ではこのSNAPが除くことができ、正常健常者と純粋なアルツハイマー病患者に絞り込むことができます。
(注5)カテプシンB(Cathepsin B)は、主にリソソームという細胞内の小器官に存在するタンパク質分解酵素です。損傷したタンパク質の分解、酵素活性の調節、細胞周期の制御に関与し、炎症性疾患や神経変性疾患、がんなどとの関連が研究されています。アミロイドカスケード仮説では、Aはアミロイド前駆体タンパク質(APP)から生成されますが、これには部位APP切断酵素1(BACE1)とγ-セクレターゼという酵素が関与すると言われております。しかしカテプシンBもAの生成に関与するβセクレターゼであるとの報告もあり、カテプシンB阻害薬の投与や遺伝子阻害でアルツハイマー病患者由来の培養細胞やマウスモデルのA分泌、およびアミロイド沈着を減少させ、記憶障害を改善させたと報告されています。
(注6)A42とはアミロイドタンパク質の一つで42のアミノ酸から成るペプチドです。アルツハイマー病の病理学的な最初期の病変であると同時に、2重合体や3重合体を形成し、直接神経細胞に毒性を示すと言われています。
(注7)SNAP(suspected non-Alzheimer's disease pathophysiology)は、臨床診断ではアルツハイマー型認知症と診断された症例の中で、非AD病理が疑われるケースのことです。その経過はアルツハイマー型認知症より遅く、日常生活に大きな支障をきたしません。背景疾患は多様で、Aの変化がなくタウのみ異常を来すタウオパチーが含まれます。
(注8)プロテオミクスプロファイリングとは、生体内タンパク質の大規模な分析のことです。プロテオミクス解析はタンパク質の同定、定量解析、翻訳後修飾の研究に使用される重要な技術です。プロファイリングとは、特定の属性や特徴を調査し詳細な情報を得るために行われるプロセスを指します。今回の研究では、液体クロマトグラフィー質量分析装置(LC/MS)と呼ばれる機器を使用しプロテオミクス解析を行いました。
・アルツハイマー病を引き起こす病態変化前後の脳脊髄液を集め、その中に含まれる細胞外小胞(エクソソーム)のタンパク質を網羅的に分析した。
・カテプシンBを含む11種類のエクソソーム含有タンパク質がアルツハイマー病の進行で増減することを発見した。
・脳脊髄液のみならず血液中のエクソソームに含まれるカテプシンBは脳アミロイドβ量と相関していた。
・エクソソーム中カテプシンBはアルツハイマー病の新たな早期診断バイオマーカーや治療のターゲットとして期待される。
【発表者】
国家公務員共済組合連合会虎の門病院 認知症科、冲中記念成人病研究所 井桁之総 (研究責任者)
北海道大学大学院先端生命科学研究院 脂質機能性解明研究部門 湯山耕平
北海道大学大学院先端生命科学研究院 脂質機能性解明研究部門 孫慧
がん研究会がんプレシジョン医療研究センター 植田幸嗣
がん研究会がんプレシジョン医療研究センター 藤井理沙
日本赤十字看護大学 看護学部(研究発足時) 逸見 功
【発表の要旨】
国家公務員共済組合連合会虎の門病院 認知症科 井桁之総、北海道大学大学院先端生命科学研究院 脂質機能性解明研究部門 湯山耕平、がん研究会がんプレシジョン医療研究センター 植田幸嗣らを中心とする研究グループは、アルツハイマー病(注1)病態が生じる前後の被験者の脳脊髄液(注2)からエクソソーム(注3)を抽出し、そこに含まれるタンパク質を網羅的に分析しました。その結果、アルツハイマー病の進行過程で量的に変動する11種類のエクソソーム含有タンパク質が同定され、なかでもカテプシンBは脳脊髄液のアミロイドβ量と相関していました。
認知症の約6割を占めるアルツハイマー病は、発症の10年以上前から病気の原因となる脳の病変が始まることが知られています。病変の進行程度はATN分類(アミロイドβ病理[A]、タウタンパク質病理[T]、神経変性[N])と呼ばれる分類法(注4)によって区分されます。今回の研究ではまず、アルツハイマー病、軽度認知機能障害(MCI)、正常者から脳脊髄液を丁寧に採取・収集しATN分類を行いました。さらにアルツハイマー病の病理変化が確実な被験者と全く正常な被験者に絞り込みました。そして脳脊髄液からエクソソームを単離し、エクソソームに含まれるタンパク質を世界最高感度の質量分析装置で網羅的に定量分析しました。その結果、エクソソーム内に1,756種類のタンパク質が同定され、その中で異なるATN分類ステージ間(アルツハイマー病の病理が進行する過程)で量的に変動するタンパク質が11種類発見されました。
正常期とアミロイドβ病理期の間で変動を示したエクソソームタンパク質の一つであるカテプシンB(注5)は、136例の大規模検証実験で脳脊髄液のみならず、血液中のエクソソームにおいても同様の変動が確認されました。エクソソームは脳疾患の情報がわかる血液バイオマーカーとしての利用が期待されており、今回の発見はアルツハイマー病の新たな診断用バイオマーカー開発の手がかりとなる可能性があります。同時にこれらのエクソソームタンパク質の変化はアルツハイマー病の病理形成のメカニズムに関与する可能性もあり、治療の標的候補としても研究の進展が期待されます。
なお、本研究成果は、日本時間2023年12月11日(月)公開の医学誌『Brain』オンライン版に掲載される予定です。
【研究の背景】
厚生労働省によりますと、日本の認知症の患者は2020年の時点で600万人と推計され2025年にはおよそ700万人にのぼると予測されています。アルツハイマー病(以下「AD」という。)は、認知症の原因となる病気の一つで日本では認知症と診断された高齢者の6割以上を占めています。ADを発症した人の脳では、「アミロイドβ(以下「Aβ」という。)」や「リン酸化タウ(以下「p-Tau」という。)」と呼ばれる異常なタンパク質がたまっており、これにより神経細胞が壊れ、脳が萎縮し、脳の働きが低下すると考えられています。
AD発症の約25年前からAβが脳に蓄積を開始すると脳脊髄液(以下「CSF」という。)中のAβ42(注6)は減少し、約10年前からCSF中のp-Tauが増加します。やがて活性化ミクログリアが神経炎症を引き起こす一連の神経変性の過程はアミロイドカスケード仮説と呼ばれ、現在の病態修飾薬開発の主流になっています。またエクソソームを介して神経細胞間でこれらの病原性タンパク質が拡散し、病気が進行すると言われています。
一方、AD病態修飾薬の開発研究ともに早期診断を目指す取り組みも加速し2018年、米国の国立老化研究所とアルツハイマー協会(NIA-AA)はバイオマーカーによるADの病理学的な進行過程を分類したガイドラインであるATN分類(注4)を開発し、臨床診断から生化学的診断への移行を導きました。これからヒントを得た我々は、ATN分類を単なる分類ではなく、正常 ➡ Aβ蓄積 ➡p-Tau蓄積/神経変性のそれぞれの変化で生じる固有のタンパク質を一網打尽に捉えることができるツールと考えました。しかし、CSF採取・保存の過程ではAβなどの吸着しやすいタンパク質は非常に失われやすく、採取者や施設間で測定誤差が生じることが問題になっています。そこで、単一施設の一人の医師が、タンパク質が吸着しにくい器具で繰り返し髄液を採取し、髄液に含まれるタンパク質の変性と吸着による喪失を防ぎました。さらに採取からなるべく早く凍結保存するため、虎の門病院臨床検査部のシステムを利用し検体の品質管理を行いました。これらの検体を用い、エクソソームを対象にした新しい病因タンパク質とバイオマーカー候補の探索が行われました。なお、この研究は虎の門病院臨床研究倫理委員会に承認され(臨床研究番号1388)ヒトを対象とした医療および健康研究倫理ガイドラインに準拠して実施されました。
【研究手法と成果】
この研究は2017年4月から2021年4月に虎の門病院の認知症科外来で行われ、136人の日本人患者(男性71人、女性65人、平均年齢71.3歳)が同意を基に参加しました。AD患者50人、MCI患者26人、および正常対照者60人でした。採取・保存されたCSF検体のAβ42、p-Tau、総タウ(t-Tau)を測定し、ATN分類が行われました。次にSNAP群(注7)を完全に除外し、ADバイオマーカー値が正常な患者と純粋なAD患者のみを選択し(A探索実験)、疾患の病理学的進行と関連する一連のエクソソームタンパク質を同定するためにCSF エクソソームのプロテオミクスプロファイリング(注8)を実施しました (図1)。
図1 今回の実験の流れ
CSFから精製されたエクソソームは、Orbitrap Fusion Lumos質量分析装置(Thermo Scientific社)を使用して分析され、1,756種類のタンパク質が検出されました。その中から正常➡Aβ蓄積➡p-Tau蓄積/神経変性と病理変化が進行する過程で、その量が変化する11種類のタンパク質が見つかりました (図2)。
図2 アルツハイマー病の病理進行に伴うエクソソーム含有タンパク質の変化
これらのタンパク質のうちカテプシンBは、大規模検証実験においてもCSFおよび血液中のエクソソームで統計学的に有意な量的変動が確認されました。具体的には、ATN分類においてA-T-N-からA+T-N±に変化するとCSFエクソソーム含有カテプシンBが増加していました(図3)。 Aβ陰性(A-)と比較してAβ陽性(A+)ではCSFエクソソーム含有カテプシンB量が増加し(図4)、CSF-Aβ42量(アミロイド病理の指標)と相関していました(図5)。
図3 A-T-N-からA+T-N±への変化でCSFエクソソーム含有カテプシンBが増加
図4 A陰性(A-)群と比較してA陽性(A+)群ではCSFエクソソーム含有カテプシンB量が増加
図5 CSFエクソソーム含有カテプシンBはCSF A42と負の相関にある
これらのタンパク質はADの病因に関与するだけでなく、純粋なアルツハイマー病患者を特定するための新たなバイオマーカー候補と治療のターゲットとして利用できる可能性があります。同定された11種のタンパク質の中にいままで知られていなかったアルツハイマー病の発症の原因が隠れている可能性があります。とくにカテプシンBはアルツハイマー病の早期病理のアミロイド形成段階から関わっているという説があり、カテプシンBの働きを妨げる薬の中にはアミロイドβの産生を低下させるものもあります。血中エクソソームカテプシンBの計測によって脳内Aβ蓄積を早期に検出できる可能性があり、企業と協力し血液内のエクソソームカテプシンBを簡便、安価に検出できる早期アルツハイマー病診断キットの開発をしています。
【原著論文タイトル】
Extracellular Vesicle Proteome Unveils Cathepsin B Connection to Alzheimer’s Disease Pathogenesis.
【著者名】Kohei Yuyama, Hui Sun, Risa Fujii, Isao Hemmi, Koji Ueda and Yukifusa Igeta*
【掲載誌名】Brain
【出版社名】Oxford University Press.
【DOI】10.1093/brain/awad361.
【謝辞】
本研究にご協力頂きました、たくさんの患者さんとそのご家族に心から感謝申し上げます。
【用語解説】
(注1)アルツハイマー病は進行性の神経変性疾患で、記憶障害や判断力の低下が主症状です。脳内にアミロイドタンパク質とリン酸化タウタンパク質が蓄積し、神経細胞死を起こします。軽度の記憶障害から始まり、段階的に高次脳機能障害が進行します。病態修飾療法が開発され、抗アミロイド療法であるレカネマブが本邦で初めて保険承認になりました。
(注2)脳脊髄液は脳室を満たす無色透明な液体でアルツハイマー病など脳疾患の原因タンパク質が排泄されています。認知症の診断に多くの有益なタンパク質情報をもたらします。
(注3)エクソソームはあらゆる細胞から分泌される直径数十ナノメートルサイズの細胞外小胞の一種で分泌元細胞のタンパク質、脂質、核酸が含まれます。血液など体液からエクソソームを介して病因細胞の分子情報を検出する診断法はリキッドバイオプシー(体液生検)とも言われ、血液から脳細胞のさまざまタンパク質や遺伝子の情報にアクセスする手段として重要です。
(注4)ATN分類は、アルツハイマー病の症状は考慮に入れず、病理の進行段階を評価するシステムです。A-T-N-(すべてのバイオマーカーが正常)、A+T-N-(アミロイドのみ陽性)などと表現されます。臨床診断されたアルツハイマー型認知症の約30%は、SNAP (suspected non-Alzheimer's disease pathophysiology )と呼ばれるアルツハイマー病ではない疾患(A-T+N±、A-T-N+)が含まれます。ATN分類ではこのSNAPが除くことができ、正常健常者と純粋なアルツハイマー病患者に絞り込むことができます。
(注5)カテプシンB(Cathepsin B)は、主にリソソームという細胞内の小器官に存在するタンパク質分解酵素です。損傷したタンパク質の分解、酵素活性の調節、細胞周期の制御に関与し、炎症性疾患や神経変性疾患、がんなどとの関連が研究されています。アミロイドカスケード仮説では、Aはアミロイド前駆体タンパク質(APP)から生成されますが、これには部位APP切断酵素1(BACE1)とγ-セクレターゼという酵素が関与すると言われております。しかしカテプシンBもAの生成に関与するβセクレターゼであるとの報告もあり、カテプシンB阻害薬の投与や遺伝子阻害でアルツハイマー病患者由来の培養細胞やマウスモデルのA分泌、およびアミロイド沈着を減少させ、記憶障害を改善させたと報告されています。
(注6)A42とはアミロイドタンパク質の一つで42のアミノ酸から成るペプチドです。アルツハイマー病の病理学的な最初期の病変であると同時に、2重合体や3重合体を形成し、直接神経細胞に毒性を示すと言われています。
(注7)SNAP(suspected non-Alzheimer's disease pathophysiology)は、臨床診断ではアルツハイマー型認知症と診断された症例の中で、非AD病理が疑われるケースのことです。その経過はアルツハイマー型認知症より遅く、日常生活に大きな支障をきたしません。背景疾患は多様で、Aの変化がなくタウのみ異常を来すタウオパチーが含まれます。
(注8)プロテオミクスプロファイリングとは、生体内タンパク質の大規模な分析のことです。プロテオミクス解析はタンパク質の同定、定量解析、翻訳後修飾の研究に使用される重要な技術です。プロファイリングとは、特定の属性や特徴を調査し詳細な情報を得るために行われるプロセスを指します。今回の研究では、液体クロマトグラフィー質量分析装置(LC/MS)と呼ばれる機器を使用しプロテオミクス解析を行いました。
関連PDF
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