【ニュースリリース】大腸がんの転移機構の一端を解明 〜播種がん細胞の産生に創傷治癒プログラムが転用されていた〜
2026年09月07日
1.ポイント
●まず、患者由来大腸がんオルガノイドを用いた転移モデルを構築し、これまで解析が困難だった「播種がん細胞(DTC)」の分子特性を詳細に解析しました。
●その結果、大腸がん細胞は転移の過程で幹細胞性を一時的に失い、皮膚の創傷治癒プログラムを利用した細胞状態へ移行することが分かりました。具体的には、播種がん細胞でKRT17などの創傷治癒関連ケラチンの発現が上昇し、転移過程に適した細胞状態に遷移していました。
●さらに、この細胞状態の変化はEZH2活性の低下とYAPシグナルの活性化によって誘導され、遠隔臓器への播種能を高めることを明らかにしました。
●これらの成果により、転移過程でのみ出現する細胞状態を標的とした、新たな転移リスク評価法や転移予防・治療法の開発につながることが期待されます。
2.概要
がん研究会がん研究所 細胞生物部の坂原瑞穂(さかはらみずほ) 特任研究員、八尾良司(やおりょうじ)部長を中心とするグループは、大腸がん細胞が転移する際、皮膚の傷を修復するときに働く「創傷治癒プログラム」を一時的に利用し、遠隔臓器へ広がることを明らかにしました。
大腸がんによる死亡の多くには転移が関係しています。転移の過程では、一部のがん細胞が原発巣から離れ、肝臓や肺などへ移動します。この「播種がん細胞」は数が少なく、一時的にしか現れないため、患者の体内から採取して詳しく調べることが難しく、その性質は十分に分かっていませんでした。
研究グループは、患者の大腸がん組織から作製したオルガノイドをマウスの大腸へ移植し、転移の過程を再現する実験系を構築しました。さらに、肝臓へ到達した播種がん細胞からオルガノイドを樹立し、原発巣、播種途中、転移巣という異なる段階のがん細胞を比較しました。
その結果、播種がん細胞では、LGR5やOLFM4などの大腸がん幹細胞に特徴的な因子が減少する一方、皮膚の創傷治癒時に現れるKRT17、KRT6A、KRT16などのケラチンが増加していました。この状態は一時的で、遠隔臓器で転移巣を形成すると、がん細胞は再び原発巣に近い性質を獲得しました。すなわち、大腸がん細胞は転移の途中で本来の性質を柔軟に変化させ、皮膚細胞に似た状態を利用していることが示されました。
また、この細胞状態の変化には、遺伝子の働きを制御するEZH2の活性低下と、細胞増殖や組織修復に関わるYAPシグナルの活性化が関連することが分かりました。患者の大腸がん組織においても、KRT17陽性細胞とKRT6A陽性細胞は、主にがんが周囲の組織へ広がる浸潤先端部に小さな集団として存在し、隣接する正常組織ではほとんど認められませんでした。
本研究は、大腸がんが転移する途中に現れる、これまで知られていなかった一過性の細胞状態を明らかにしたものです。今後、KRT17陽性細胞が転移巣の形成に果たす役割や、その後の細胞の運命を詳しく解明することで、転移リスクを評価する新たな指標の確立や、播種がん細胞を選択的に標的とする治療法の開発につながることが期待されます
本研究成果は、令和 8 年 8月 19 日に、Nature Communications オンライン版に掲載されました。
3.論文名、著者およびその所属論文名
論文名
Colorectal cancer co-opts an epidermal wound healing program during metastasis to generate disseminated tumor cells
ジャーナル名
Nature Communications
著者
Mizuho Sakahara1, Takuya Okamoto1,2, Kohei Kumegawa3, Yasuko Natsume1, Daisuke Kusama1, Hitomi Yamanaka1, Rie Komatsuzaki1, Katsuyuki Yaginuma1, Upasna Srivastava4, Atsushi Takahashi-Kanemitsu5,6, Etsuo A Susaki5,6, Kazutaka Obama2, Satoshi Nagayama7, Reo Maruyama3,8, Ryoji Yao1, *
著者の所属機関
1. 公益財団法人がん研究会 がん研究所 細胞生物部
2. 京都大学 大学院医学研究科 消化管外科
3. 公益財団法人がん研究会 NEXT-Ganken プログラム がん細胞多様性プロジェクト
4. Department of Neurology, Yale School of Medicine, Yale University, New Haven, CT, USA
5. 順天堂大学 大学院医学研究科 生化学・生体システム医科学
6. 順天堂大学 大学院医学研究科 中谷生体空間オミクス医療解析拠点
7. 医療法人 徳洲会 宇治徳洲会病院 外科
8. 公益財団法人がん研究会 がん研究所 がんエピゲノム研究部
4.研究の詳細
背景と経緯
大腸がんは世界の主要な死因の一つであり、その死亡原因の大半は他臓器への「転移」によるものです。がんの転移は、原発巣から離脱したがん細胞が血管等を通じて遠隔臓器へ到達する複雑なプロセスですが、その途上にある「播種したがん細胞(DTC:Disseminated Tumor Cells)」は数が極めて少なく、一過性で臨床的なアプローチが困難なため、その分子病態や細胞状態の詳細は長年謎に包まれていました。
従来のモデルでは、転移能を持つがん細胞は原発巣の「がん幹細胞」としての性質を維持したまま移動すると考えられていました。しかし実際の臨床や動物実験では、移動中の細胞が一時的に幹細胞マーカー(LGR5など)を消失し、遠隔臓器で定着・増殖(マクロ転移)する際に再び幹細胞の性質を獲得するという、動的な細胞状態の遷移(可塑性)が観察されており、この中間状態の解明が待ち望まれていました。
本研究チームは、患者由来の大腸がんオルガノイド(腸の立体ミニ臓器)を用いた高精度なマウス同所移植転移モデルを確立。これにより、従来捉えることが不可能であった「播種中のがん細胞(DTC)」からオルガノイドを樹立することに成功し、転移を成立させる一過性の中間細胞状態の特定とその分子メカニズムの解明に挑みました。
研究内容
本研究では、大腸がん患者から樹立したオルガノイドを免疫不全マウスの大腸に同所移植するモデルを用い、同一患者の原発巣および転移巣に由来するオルガノイドの転移能を比較しました。その結果、オルガノイドは由来する病巣に応じて異なる転移能を示し、転移巣由来オルガノイドでは遠隔臓器に肉眼的な転移巣が形成された一方、原発巣由来オルガノイドでは明らかな転移巣は認められませんでした。しかし、詳細に解析したところ、原発巣由来オルガノイドを移植したマウスでも、移植後の比較的早い段階からがん細胞が遠隔臓器に到達していることが分かりました。これらの細胞は遠隔臓器にとどまりながらも、観察期間中には肉眼的な転移巣を形成しませんでした。そこで私たちは、このような播種がん細胞からオルガノイドを樹立することに成功し、その遺伝子発現プロファイルおよびエピゲノムを包括的に解析しました。
その結果、大腸がん細胞が転移のために原発巣から離脱して播種する際、本来の単層円柱上皮としての性質を一時的に失い、皮膚の表皮ケラチン細胞が組織修復時に用いる「創傷治癒プログラム」を転用しているという驚くべき事実を突き止めました。具体的には、DTC状態のがん細胞では、通常の大腸組織では発現しないはずの創傷誘導性ケラチン(KRT6A、KRT16、KRT17など)や毛髪ケラチンの発現が劇的に上昇していました。
シングルセルの解像度で解析を進めると、これらDTCオルガノイドは非常に不均一な集団であり、部分的な上皮間葉転換(部分EMT)の表現型を示す、重層扁平上皮のような「基底細胞様(Basal-like)状態」へとリプログラミングされていることが判明しました。この創傷治癒状態は一過性のものであり、遠隔臓器(肝臓や肺など)に定着してマクロ転移巣を形成すると、細胞は再び元の原発巣に似た大腸がん幹細胞の性質(LGR5やOLFM4の発現)を再獲得するという可逆的な性質を持っています。
さらに分子メカニズムとして、この状態遷移は、ポリコーム抑制複合体2(PRC2)の構成成分であるエピゲノム制御因子「EZH2」の活性低下(H3K27me3による抑制の解除)と、ヒッポ(Hippo)シグナル経路の下流因子「YAPシグナル」の活性化が協調して誘導していることを明らかにしました。実際に、薬剤(EZH2阻害剤とYAP活性化剤)を用いて人工的にこのシグナルを操作した原発巣オルガノイドは、創傷誘導性ケラチンの発現が最大100倍以上に跳ね上がり、マウス移植時における遠隔臓器への播種能が著しく増強されました。
最後に臨床検体での検証を行ったところ、大腸がん患者の手術標本において、KRT17やKRT6A陽性の細胞はがんが周囲に染み出す「浸潤最前線(invasive front)」に集団(集団移動細胞クラスター)として特異的に局在しており、隣接する正常組織には一切存在しないことが確認されました。
本研究成果は、異なる発生起源を超えたがん細胞の予期せぬ系統可塑性を明示するとともに、がん転移・進行に必須である「一過性の中間状態」を標的とした、これまでにない新しい転移予防・治療戦略の創出へ道を拓くものです。

5.本研究への支援
本研究は、以下の支援を受けて実施されました。
• 文部科学省・独立行政法人日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業 基盤研究(B)「大腸がんの転移・再発における細胞多様性の役割(研究代表者:八尾良司、課題番号:21H02770)」
• 文部科学省・独立行政法人日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業 挑戦的研究(萌芽)「がん組織における分化転換機構の解明(研究代表者:八尾良司、課題番号:22K19468)」
• 文部科学省・独立行政法人日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業 基盤研究(B)「がんの転移・再発過程で生じる細胞リプログラミング機構の解明(研究代表者:八尾良司、課題番号:24K02311)」
• 文部科学省・独立行政法人日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業 挑戦的研究(萌芽)「がん組織特異的に生じる分化転換機構の解明(研究代表者:八尾良司、課題番号:24K22075)」
• 国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)次世代がん医療加速化研究事業(P-PROMOTE)「Ribosome biogenesisを標的としたRAS変異大腸がん治療法開発(研究開発代表者:八尾良司、課題番号:JP23ama221116)」
• 国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)次世代がん医療加速化研究事業(P-PROMOTE)「全腫瘍組織3次元血管可視化による構造と機能分子発現の多様性解析(研究開発代表者:洲崎悦生、課題番号:JP25ama221610)」
• 国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)次世代がん医療加速化研究事業(P-PROMOTE)「1炭素代謝酵素によるミトコンドリア制御を標的とする革新的治療法の開発(研究開発代表者:後藤典子、課題番号:JP24ama221141)」
6.用語解説
(※1)患者由来オルガノイド(PDO)
患者から採取したがん組織などの細胞を立体的に培養して作製する、ミニチュア臓器に似た細胞集団。元のがん組織が持つ遺伝子変異や細胞の性質の一部を維持するため、がんの性質や薬剤への反応を研究するモデルとして利用される。PDOはPatient-Derived Organoidの略。
(※2)免疫不全マウス
免疫機能の一部が働かない、または大きく低下しているマウス。ヒトの細胞を移植しても拒絶反応が起こりにくいため、ヒト由来のがん細胞やオルガノイドの増殖、浸潤、転移などを生体内で調べるために用いられる。
(※3)同所移植
がん細胞やオルガノイドを、それらが由来する臓器と同じ部位に移植する方法。本研究では、大腸がん患者由来オルガノイドをマウスの大腸に移植することで、大腸がんの増殖や転移の過程を再現した。
(※4)播種がん細胞
原発巣から離れ、血流や体腔などを介して肝臓や肺などの遠隔臓器へ到達したがん細胞。遠隔臓器に到達しても、必ずしも直ちに転移巣を形成するとは限らず、増殖しない状態で長期間とどまる場合がある。英語のDisseminated Tumor Cellsを略してDTCとも呼ばれる。
(※5)がん幹細胞
自己複製する能力と、性質の異なる複数のがん細胞を生み出す能力を持つと考えられているがん細胞。がん組織の形成や維持、治療後の再発などへの関与が示唆されている。本研究では、大腸の幹細胞に関連するLGR5やOLFM4を、がん幹細胞の状態を調べるための指標として用いた。
(※6)遺伝子発現プロファイル
細胞内で多数の遺伝子がそれぞれどの程度働いているかを網羅的に調べ、その特徴をまとめたもの。異なる細胞や病気の段階を比較することで、活性化または抑制されている生物学的な仕組みを推定できる。
(※7)創傷治癒プログラム
皮膚などの組織が傷ついた際に、細胞が移動、増殖、形態変化などを起こして傷を修復する一連の反応。本研究では、大腸がん細胞が転移する途中で、皮膚の創傷治癒に関わる細胞と似た遺伝子発現状態を一時的に獲得することが示された。
(※8)ケラチン
上皮細胞の形や強度を保つ細胞骨格タンパク質の一群。臓器や細胞の状態によって発現する種類が異なる。本研究で注目したKRT6A、KRT16、KRT17は、通常、皮膚の傷が治る過程で発現が増加する「創傷誘導性ケラチン」として知られている。
(※9)細胞可塑性
細胞が周囲の環境や刺激に応じて、その性質や遺伝子発現状態を柔軟に変化させる能力。本研究では、大腸がん細胞が転移途中で皮膚細胞に似た状態へ一時的に変化し、転移巣を形成すると再び原発巣に近い状態へ戻ることが示された。
(※10)エピゲノム
DNAの塩基配列そのものを変化させずに、DNAやヒストンの化学修飾などによって遺伝子の働きを調節する仕組み、またはその情報の総体。細胞の種類や状態に応じて変化し、がんの発生や進展にも深く関わる。
(※11)EZH2
遺伝子の働きを抑制するタンパク質複合体PRC2の中心的な酵素。ヒストンH3の27番目のリジンにメチル基を付加することで、特定の遺伝子を働きにくい状態にする。本研究では、EZH2の活性低下が播種がん細胞に特徴的な状態の形成に関連する可能性が示された。
(※12)YAPシグナル
細胞の増殖や生存、組織の成長、創傷修復などを調節する情報伝達の仕組み。YAPが活性化して細胞核へ移動すると、さまざまな遺伝子の発現を促す。本研究では、YAPの活性化がKRT17陽性細胞の出現と関連することが示された。
7.がん研究会について
がん研究会は1908年に日本初のがん専門機関として発足して以来、100年以上にわたり日本のがん研究・がん医療において主導的な役割を果たしてきました。基礎的ながん研究を推進する「がん研究所」や、新薬開発やがんゲノム医療研究を推進する「がん化学療法センター」「がんプレシジョン医療研究センター」、さらに新しい医療の創造をする「がん研有明病院」を擁し、一体となってがんの克服を目指しています。
ウェブサイト:https://www.jfcr.or.jp/
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